「考える」ことに意味がある。
紅葉のなか宿泊研修に行って参りました。写真は朝食後の散歩の時間ですが、集合時間まで余裕があると知って生徒は「鬼ごっこ」を始めました。
結構、真剣…鬼ごっこなのに。体をたくさん動かすことはよいことですね。走れて羨ましいです。
さて校内で先日、以下のような会話を耳にしました。
生徒A「〜(←聞き取れず)は外していったほうがいいかな?」
生徒B「○○(←伏字)先生に会いに行くから、外したほうがいいんじゃない?」
生徒A「そだね」
おそらく職員室を訪れるにあたってなんらかの装飾品を外す相談をしていたと思われます。
個人的にはとても嬉しい出来事でした。#北海道大空高校 の校則には格好についての詳細な事項はありません。「適切な服装を判断して着こなすこと」という塩梅です。これは「なんでもOK」ということではなく、「生徒が自ら判断する」ことを是とするということです。私はこれを「考える余白」と呼んでいます。生徒にもそのように伝えており、「自由とは違う」と日頃から話しています。上記の会話はその「考える」の片鱗を垣間見たようで嬉しくなった次第です。
先日の宿泊研修も、ある生徒が「外部の人に会うから皆でパシッと制服を着こなして行こうぜ」とクラスに呼びかけてくれたそうです。それも嬉しい出来事でした。
1)自分にとって難しい問題を 考えたが 解けなかった。
2)自分にとって簡単な問題を 考えずに 解けた。
では1)の方が考えたぶん賢くなります。解けたか、解けなかったか、という結果よりも、そのプロセスで熟慮したかどうかが重要です。したがって大空高では制服について上述のような運用になっています。
「毎日ぴしっと制服を着るべき」
と言う御意見もあるかもしれませんが、校則で縛って「言うこと聞いてるだけ」「先生に厳しく指導されるから、ちゃんと着てるだけ」という状態にあまり意味を感じません。それでは「全く考えてない」からです。上述の○○先生は「校長先生に会いに行くならパーカーは脱いでいきなねー」と指導してくれた先生です。それも「考える」きっかけになっていると思います。ありがたいことです。
明確で詳細なルールがあると「ルールだから駄目」と指導は容易になりますが、然るべき場所と時間に応じた着こなしは学べないかもしれません。大空高は指導は大変ですが、生徒たちに都度「どうするべきか?」を考えて欲しいと願っています。それぞれの先生が異なる考え方で、異なることを言うかもしれませんが、「それも社会かな」と。
こんな学校がいいな、と思う方は #北海道大空高校 を選択していただけると嬉しく思います。